AML M4 小児白血病児のママンのブログ

小児急性骨髄性白血病(AML M4)の治療を終え、退院しました。(2016.8.31)
退院してからの予後を出来るだけ楽しく明るく乗り越えていけたらと思っています。

5クール

最後の治療です。


入院から案外早かったと思いながら最後のクール付き添い続投頑張りました。


歴代の付き添いベッドの次の行き先もお願いして退院を目指してもう、頭は退院後の事に思いが先行してました。


副作用で気分悪いのは慣れた感じで機嫌悪そうに横になっていましたが、最後になり免疫抑制もかかり口の中の粘膜が剥がれたりなんと初潮を迎えたり…喜んでいるのも束の間発熱。

あらゆる抗生剤が点滴投与され、血液検査しても原因が、わからない。

初潮=月経は、粘膜が剥がれる為に感染の恐れも有るからと婦人科の検査もしました。

どの抗生剤も効かないで40度を越える熱と、血圧の上昇。

怖かったです。

退院の事しか考えてなかったのに、不安で不安で高熱と血圧の上昇の時は夜も眠れないで様子に異変がないか横にいました。

酸素マスクと酸素の値を観るモニターと心電図、病室前の詰所でモニターチェック出来る様に装置が取り付けられました。


退院を夢見て浮き浮きしてたのに、ちゃんと帰れるんだろうか不安になってました。


自力の好中球は0行進。

白血球自体も0。

0行進が2週間越えました。

こんな事はこれまで幸い無かったので、自然治癒力を頼りに待ちました。

長く感じました。

0なので病室のアイソレーターから離れられず、熱も続いて娘もストレスだったと思います。

早く散歩したいと言う様になりました。

外泊や一時退院の時に散歩を勧めてもしなかったのに。

熱が下がり始めたけど数値上がらず、退院前検査をアイソレーター付きの車椅子で行きました。

その頃数値は上がり始めていたけどまだ僅かでした。

脚の筋力が無くなってました。

見たら脚だけ細いのです。

白血球や好中球を作り出す為に、身を削っていたのです。

避けるチーズをこの頃買って食べていました。

病院で出る牛乳が飲めなかったからです。


なかなか数値も満足に上がらないし、今年の夏は暑かったのでクーラーの効いた部屋ではなく外の世界に慣れる意味も有って一時外泊しました。

2泊3日。

子ども部屋にエアコンが無い為空気清浄機付きのエアコンを見に行き、扇風機で過ごそうと娘なりにしましたが脱水をわたしが恐れエアコンの風が行く和室に寝かせました。

水分補給は外泊の約束事項。

手洗いうがいとマスクと水分!と、娘に煩がられるくらい言いました。

4クール

40日くらいかかって熱も下がり立ち上がり、4クール目に入れます。

1クール終えた毎に自宅に一時帰宅(外泊)や一時退院してましたが早く退院したいと立ち上がりを病院で待ち、タイミングが良い日に治療を始めるようにしてもらいました。

好中球や、血小板、赤血球の値が上がったのに下がる事が有ったし何より娘も両親も早く本退院を目指したかった。

数値が安全な数値に上がったタイミングで治療開始しました。

4クール目のは2クールの時みたいにスムーズに治療を終えました。

1クール、1クールやっぱり同じではないのだと感じました。


5クールの最後の治療ではまた3クール目と同じ組み合わせで入るので、心配しながらも順調に過ぎていきました。

3クール

新たな治療を始める前には必ず骨髄検査と髄注が有ります。


2クール終えた後に骨髄検査の結果のお話が有りました。

今後の治療計画もお話いただきました。


2クール終えて完全寛解しました。


治療も全行程5クール、遺伝子異常無し、骨髄移植無しで治療を進めるとの事。


これからは1クールだいたいこのくらいだから退院はこのくらいと、退院を目指す治療に変わりました。

この頃約35日で立ち上がる順調なペースでいました。


3クール目でもまた抗がん剤の組み合わせが変わります。

毎回同じパターンと言う訳にはいきません。


また発熱しました。

抗生剤が点滴から入ります。

原因は特定出来ないまま。


副作用も初日は酷く、食事が取れません。

病院食も食べれる物が限られてます。

熱が怖いけど、冷凍食品や自宅からの差し入れやたまにマックのポテトやナゲットとかミスドのドーナツにおやつ等食欲をかき立ててやれば食べてくれたのが良かったです。

熱はまたしばらく続きました。

ゼリーとか、最初は食べていたものに飽きてまた別の物を探しては試していました。