AML M4 小児白血病児のママンのブログ

小児急性骨髄性白血病(AML M4)の治療を終え、退院しました。(2016.8.31)
退院してからの予後を出来るだけ楽しく明るく乗り越えていけたらと思っています。

寛解導入2

熱も下がり2クール目です。


退院の時の説明でそれが完全寛解する為の寛解導入だった事を知ります。


2クール目は入れる抗がん剤の組み合わせも1クール目とは異なり、感染症も無く割と淡々と過ごせました。


ちなみに毛髪は1クール目でほとんど抜け落ちました。

ホラーみたいに軽く指を入れると、ゴッソリ抜けました。

生まれてからやっとこれまで伸ばしてきたロングの髪の毛が、アッと言う間に無くなりかけていた頃に看護師さんの紹介でボランティアの美容師さんに肩より短いボブに切ってもらいました。

どうせ全部抜けるのに、女の子なので気にかけていただきました。

コロコロの用意を勧められ、コロコロで集めて捨てもしましたが医師から駄目と言われたけど抜けた毛髪は取って有ります。

病室に保管はNGだったので、自宅にダンボールに隠して持ち帰りました。

寛解導入1

説明を受けたのかどうだったかわからないまま化学療法(抗がん剤治療)が始まりました。


きっと説明されたと思います。


けどあれよあれよと点滴が入りました。


そして数日内にCV(カテーテル)を大学病院から医師が来て入れるとの事。


初めに

「7ヶ月は入院します。」

と、言われていたので仕方無い事と受け入れるしか有りません。


「綺麗に入りましたよ。

時間もかからなかった。」


思っていたより早く病室に戻ったので取り敢えずホッとしたものの、不憫でなりません。

また全身麻酔ですし。

けど、治療に必要ならと自分にも娘にも納得させる為に

「仕方無いよね。」

と言い聞かせました。


それから発熱します。

感染症になりました。

敗血症になっては大変だと抗生剤が点滴から入ります。

熱はしばらく続きました。


治療の為のCV(カテーテル)からの感染症で、白血病では無くその為の処置で命を落としてほしくないと祈るような気持ちで毎日経過を観ながら過ごしました。


ウチは一気に大量の抗がん剤を入れる寛解導入法だったと後日説明を受けました。


1クールの後の骨髄検査で5%未満の寛解と言われました。

けど、5%未満はまだ有るのが気になりつつ熱もなかなか下がらなかったりして不安は拭えないままの1クール目でした。

けど、抗生剤で熱は抑えられて熱は下がっていきました。

2016.2.10.(水). 小児急性骨髄性白血病と診断を受けました。

二月初旬から体調不良気味で、コケたり発熱したりかかりつけ医の小児科や皮膚科に連れて行ってました。

発熱はそんなビックリする程は高く続く訳でもないけど、下がったと思っていてもまたいつの間にか上がったり変な熱でした。

季節柄、インフルエンザと溶連菌検査を日を置いて二回しましたが陰性。

かかりつけ医の小児科で念の為血液検査だけしておきましょうかと検査の結果、白血球26,000越え。

かかりつけ医は抗生剤で様子観ますか?と言ったけど紹介状を書いてもらいました。

が、近所をと勧められた総合病院へ2/9小児科から直行で紹介状を持って行きましたが此処では詳しい検査が出来ないと一晩入院するものの明日は新たな紹介状を持ち日赤に転院が決まりました。

その時には家族に、「〇〇が白血球の値が高いけん、白血病かも知れんけん。」と集まりました。

新たに書かれた紹介状をチラ見したら、日本語では無く白血病の疑いと有りました。

ネットの普及って凄いですね、スペルを入力したら白血病と出ました。


翌朝2/10、朝から日赤小児科で骨髄検査。

検査結果待ちの時間はソワソワしながらもなんとなく夫婦共に食事を院内のカフェに買いに行ったりしてました。

麻酔かかって起きない間は、グッタリしてちょっとやっぱり大変な事になってると思い知りましたがまだ大丈夫だと夫婦共に思いながら実のところ二人共にオロオロしていたんだと思います。

時期に娘も目を覚ましてDVDでトイストーリーを流してもらいましたが、内容なんて頭に入りません。

カフェで買った物を一緒に食べたりして待っていました。


そして少しバタバタと先生からお話が有りますと、別室へ通され病名が分かりました。


「娘さんは、小児白血病で急性骨髄性白血病です。」


涙と嗚咽していたら、

「小児の白血病は治る病気です。」

と言われました。


「直ぐに治療が必要なので入院して下さい。」


治療が始まりました。